阿寒湖ボッケ遊歩道(標高425m)

 アクセス
 阿寒湖畔の東外れの有料駐車場(1日410円)を利用する。
 国土地理院地図 周辺地図
=風景写真をクリックすると大きなサイズになります=
温泉街時計回りコース
 9月4日 <2016(H28)年 一周 2.6km 35分> GPSトラックは山の地図帳「2016.9.4」へ
 遊覧船に乗ろうとまりもの里桟橋に行くと、出港まで時間があったので、温泉街沿いに延びる遊歩道を歩く。遊歩道は所々木道で、尻駒別川が流れ入る方向に延びていた。遊歩道は幸運の森桟橋の手前で終わっていて、「←阿寒湖畔エコミュージアムセンター700m」「400mアイヌコタン→」の道標が立っていた。幸運の森桟橋の背後には三角点:歌云内の山が厚い雲の下にあった。
遊覧船(まりもの里桟橋) 温泉街沿いの木道 道標 幸運の森桟橋
 行きは阿寒湖ばかりを見ていたが、道端にはトリカブト、キツリフネが咲いていた。小川の辺に辿り着くと、先程、二人の中国人が記念写真を写していた縦型の方位盤がある。普通の方位盤は水平だが、それよりも見やすく、洗濯機同様、縦型の利点があるようだ。まりもの里桟橋に戻ると発券場の横に、ボッケ遊歩道入口の看板と案内図がある。
トリカブト キツリフネ 方位盤 ボッケ遊歩道入口
 ブドウ棚を潜って、木道の遊歩道を奥へと進んで行くと、足湯があり、隣町本別まで来たと言われている弁慶の足湯がある。どうも阿寒らしくない名前だと思う。熊の片足湯とかピリカメノコの足湯とかの方が良いのではと思いながら足湯を後にする。
ブドウ棚 木道 弁慶の足湯
 岬の突端に阿寒湖の看板があり、目の前に小島も見える。残念ながら、小島の後ろの阿幌岳はすっきりとは見えない。遊歩道沿いの大木が台風によって、根を露にして倒れていた。いよいよ、ボッケ群に近づくとまりもの唄歌碑が見えて来る。歌碑には下りず、奥の石川啄木の歌碑に行く。ここで、湖畔沿いの遊歩道が終わる。
看板 小島 まりもの唄歌碑 石川啄木の歌碑
 今度は、林の中の遊歩道を辿ると、白い湯気のあがったボッケが見えて来る。小さなボッケは倒木で塞がれているものもある。ボッケの看板を改めて見て、奥へと進むと、シカ柵で囲まれた所がある。設置理由を見ると、コオロギの保護のためだと分かる。
ボッケ 看板 シカ柵 設置理由
 遊歩道を歩いていると、ヘビが慌てて藪に逃げ込んでしまう。今回は、山側にある森のこみちを辿ろうと思ったが、台風被害で閉鎖されていた。閉鎖の看板のclosedの表示を見て、外国人観光客が増えたのかなと思う。
ヘビ 道標 森のこみち案内板 closed
 森のこみちを辿れなかったので、がっかりしながら引き返す。それでも、ボッケ、倒木、花ごよみの看板を見ながら歩いて行く。エコミユージアムの裏側にある水生植物の道も閉鎖されていた。遊歩道はエコミユージアムで終わる。
ボッケ 倒木 花ごよみ エコミユージアム
エコミユージアムセンター時計回りコース
 9月9日 <2013(H25)年 一周 2.3km 40分> GPSトラックは山の地図帳「2013.9.9」へ
 駐車場からエコミュージアムセンターに向かうと、「ボッケ350m」の看板が立っていた。遊歩道を進むと、直ぐに、松浦武四郎漢詩碑が鎮座していた。碑文は「水面風収夕照間/小舟棹支沿崖還/怱落銀峯千仞影/是吾昨日所攀山/安政戊年三月廿八日即作/松浦武四郎源弘髭 檀山書」と刻まれているようだ。碑陰は見なかったので建立年月日は分からず。
ボッケ350m 案内板 松浦武四郎漢詩碑 碑文
 松浦武四郎は安政5年3月に、まだ雪のある阿寒の山を登ったというから驚きだった。木漏れ日の中、遊歩道を辿ると、雌阿寒岳が見るという場所からは、温泉街が見え、その後ろに白湯山が望また。その後ろに雌阿寒岳が見えることは見える。水面には夕暮れの雰囲気になっているが、湖面に影を落とす山は雌阿寒岳なのだろうか。松浦武四郎が小舟を浮かべて見た銀峯は、雌阿寒岳だったのか白湯山だったのかと思いを馳せる。
解説板 遊歩道 温泉街が 白湯山・雌阿寒岳
 湖面を走るっ遊覧船を木立越しに見ながら遊歩道を辿る。対岸の三角点:歌云内も木立越しに見えて来る。小島が見える所に阿寒湖の看板があり、記念写真を撮す。
遊覧船 遊歩道 三角点:歌云内 小島と(大×)
 広場に辿り着き、遊覧船や小島が浮かぶ阿寒湖を見渡す。対岸には、三角点:歌云内が見えていた。
                               ←大
               三角点:歌云内 小島     阿寒湖
 広場に到着すると、まりもの唄歌碑が鎮座していた。碑陰を見ると1993年10月8日に建立されたようだ。雄阿寒岳は夕日を受けてくっきりと見えていた。
広場 まりもの唄歌碑 碑陰 雄阿寒岳
 広場の付近の湖畔は立ち入り禁止で、湯気の立っている所がある。ここがボッケかと早とちりをする。まだ、奥に石碑があるので行って見たら、石川啄木の歌碑だった。碑文は「日本の●●●●湖沼のうた/神のごと遠くすがたをあらはせる/阿寒のやまの雪のあけぼの/京助」、 碑陰に、「昭和二十六年九月十日/阿寒湖畔部落民一同」と刻まれている。
ボッケ 石川歌碑 碑陰
 この歌碑の所で、遊歩道は無くなり、注意書きが建てられていた。地図には桟橋が載っているが、跡形もなかった。広場が石畳になっている所を見ると、ここがメインなのだろう。振り返り、阿寒湖を見て、石畳の道を辿って引き返そうと思ったら、近くでボコボコと音がする。近づくと、大きなボッケだった。ここが、地図に載っているボッケだと気がつく。
注意書き 阿寒湖 ボッケ
 ボッケの解説板もあるが、アイヌ語には濁音がないので、ポッケが正解だと思う。石畳の遊歩道を引き返していると、柵があり、看板も建てられていた。看板を見ると、鹿の食害からコオロギの餌や住処になる植物を守るためだった。耳を澄ますが、コオロギの啼き声は聞こえなかった。山側にも遊歩道が延びているが、阿寒湖畔エコミュージアムセンターに立ち寄る。
解説板 石畳の遊歩道 設置理由 センターを

  

 二人の散歩路記録
 2013年9月9日(月) エコミージアムコース 晴れ 一周2.3km 40分