倶多楽湖旧道

 ポイント
 馬上の貴婦人(中尾トメさん)が馬で駆け巡っていた道だというから信じられない。
 峠コース(H23.12.2 峠まで約1時間)

 アクセス
 中登別から倶多楽湖公園線(道道350号線)に入ると、冬期通行止(H23.11.25〜H24.4.26)でゲートが下りていた。ゲート前に路駐して準備をする。
 国土地理院の地形図 GPSトラックは山の地図帳「2011.12.2」へ 周辺地図
 ゲートから中に入り舗装道路を辿って行くと、カーブを過ぎ下って行くと、山神の碑への入口があった。山神の碑に向かって直角に入って行くと、大きなニ本のイチイがあり、その真ん中に山神の碑があった。碑の前には円盤の上にとぐろを巻いているヘビが置かれているが首が折れてしまっていた。碑裏を見るとほとんど擦れてしまっているが昭和33年の文字が辛うじて見える。
山神の入口 イチイと石碑(↑大) 山神の碑(↑大) 首の無い蛇(↑大)
 その傍に、いぶり自然ガイドの会が立てた手書きの由緒書きが立っている。旧道ガイドによると、この辺りは石切場で、トロッコや馬車が行き交っていたようで、馬頭観世音の碑もある。碑裏には明治43年11月の文字が辛うじて見える。
 この道は歴史街道のようで、確りした道床が保持されている。山神の碑から四方嶺に向かって登って行くと、「ムラサキシキブ・クサギ・サンショウ」の説明板が立っていた。
由緒書き(↑大) 馬頭観音(↑大) 四方嶺に向かって 旧道ガイド(↑大)
 看板の傍に糞が落ちていて、最初はタヌキの溜糞かと思ったが、内容物を見ると小さな熊の糞のようだった。引き続き整備された旧道を辿って行くと、「サンショウ(ミカン科)」の棒杭と何かが入っている玉手箱のような箱が置かれていた。「捨てられた石」の看板があり、その傍には、面取りされたと思われる石がゴロゴロと転がっていた。
熊の糞 整備された旧道 玉手箱?(↑大) 加工された石(↑大)
 看板を見ると、明治23から昭和30年代にかけて石切場になっていたようだ。石が敷き詰められて良く整備された旧道を辿って行くと、道の真ん中の切り株に看板が括り付けられている。旧道ガイドには「旧道には、川原の小石や登別石を敷いた」と書かれている。道理で、旧道が良く整備されていると思った。道端には、「豪快!一升酒の山旅」の看板が架かり、その下にビニール袋に入った一升瓶が逆さまになっていた。石切に合間に酒を飲んでいたのだろうか。
捨てられた石(↑大) 整備された旧道 旧道ガイド(↑大) 一升瓶(↑大)
 馬車も行き交ったという道を快適に登って行くと、「巨木の切り株について」と書かれた看板が現れる。昔は、北海道も植民地的な経営だったので、巨木が無いことは肯ける。看板の裏側には「クッタラ湖の主」のことが書かれていた。看板によれば、この道は倶多楽湖から虎杖浜へ通う生活道路だったようだ。旧道は岩場になり、崩れかけた所を通過して行き、石切り山だったことも肯ける。四方嶺も木立越しに遠望される。
巨木の切り株(↑大) 裏は湖の奥さん(↑大) 岩場に 四方嶺が(↑大)
 深く切れ込んだ谷には、切り倒せなかったと思われる大木が健在だった。再び、小さな熊の糞があり、熊かタヌキの溜め糞かと悩みながら登って行く。難解な地図が架かっている分岐に差しかかるが、本来なら谷コースだったと思うが、今は道が崩れて崖になっているようだったので、尾根へと急な坂を登って行く。尾根に辿り着くと、分岐標識があり、赤マジックで修正されていた。赤マジックなので、何時まで消えないでいられるか不安だ。
谷の大木(↑大) 谷(崖)分岐(↑大) ポンヌプリ分岐へ ポンヌプリ分岐
 道標にしたがって峠へと向かう。尾根道を辿って行くと、谷コースの延長線にあたる手入れの行き届いた道に出る。峠には「登別温泉からの道」の解説板が立っていた。登別温泉へはここから馬で四方嶺を超えたというから中尾トメさんは凄いと思う(四方嶺に行くはここから、薮を少し漕いで奥へ入ると、立派な歩道が続いている)。そのまま峠を通過すると、段々湖畔が近づいて来るが、登り返しになるので、引き返す。
峠へ 峠の看板(↑大) 看板の裏(↑大) 湖畔へ(↑大)
 道端には、昔に捨てられた飲み物の瓶が笹に挿されていた。峠に戻ると、「熊牧場への旧道 夏・・不通 冬・・つぼ足で」と書かれた小さな看板を発見する。帰りは谷コースを下って見るが、道が崩れて崖状になって来るので、引き返し登って来た通りに下って行く。
瓶が(↑大) 四方嶺への看板(↑大) 谷コース分岐 崖の谷
 四方嶺へは別HPへ

  

 記録 
2011年12月2日(金) 
峠まで約1時間